福島第一原発の事故により停止する行事について
福島第一原発の事故により停止する行事について
2011年3月11日に起きた東日本大震災を引き金に、福島第一原発が重篤な事故を起こしました。
やまのがっこう=戸渡地区は第一原発から25キロ地点にあり、事故当初は住民全員が一時避難しましたが、今は徐々に帰ってきている人もいます。
が、事故から半年以上経った現在も、第一原発の様相は完全に収束したわけではなく、現在の放射線量は、とわだ分校校庭で1.2μsv/h前後、敷地の一部(イメタセコイア周辺など)では3μsv/h前後を計測しています。
また、二ッ籠断層の地殻変動なども多少なりとも懸念されます。
とわだリターンプロジェクトでは、この状況でお客さまをお呼びする行事は行うべきではないと判断し、校舎の開放やキャンプ、イベントを停止することにしました。
大変好評を頂いていただけにとても残念です。
今後の運営については、来春までに決めていきたいと思っていますが、現在は冊子を発行する準備を行っています。
これまで支援してくださった多くの皆さまや、行事やキャンプなどに参加してくださった皆さま、通りすがりに遊びに来てくださった皆さまに、この場を借りて心を込めて感謝申し上げます。
またいつか、やまのがっこうでお逢いできることを願ってやみません。
2011.10.25
活動の一部停止についての所感 とわだリターンプロジェクト代表 吉田桂子
とわだリターンプロジェクト(旧戸渡リターンプロジェクト実行委員会)では、2001年から「戸渡 山の学校構想」に則り、廃校となった小川小学校戸渡分校を核にして多くの活動を展開してきました。
活動開始当初、いわき市の山間部は総じてあまり活力がなかったのですが、地産地消や自然環境保護などに向けて時流が大きく変化し始める時期でもありました。
戸渡地区は山深く孤立した位置にありながら350年の歴史を持ち、明治初期には大事業なども行われていました。
その史実は戸渡特有の自然環境と相まって、現代の経済最優先、市場原理の過ちに対する もうひとつの在り方を体現できると確信していました。
活動開始から10年、戸渡の急激な過疎化と同時並列で様々な取り組みを行い、ようやく地区の起死回生が影を成し始めていたとき、福島第一原子力発電所が途方もない事故を起こしました。
私個人は戸渡で30年近く暮らしながら、原発の存在は常に意識していました。ゆえにある意味、事故そのものについて言えば「100%の想定外」ではなかったのですが、事故後の世情は最悪のシナリオを更に超えたものであると思います。
今回の出来事は、戸渡地区の住人やリターンプロジェクトの仲間、そして住民数の数百倍という実に多くの支援者に支えられた活動のなかで「限界集落が地球を救う」と言い続けていたことが、経済最優先、市場原理の象徴と言える「原子力発電」によって、あっさりと終止符を打たれたようで、言葉に尽くせない無念を感じています。
が、幸い 現時点ではやまのがっこうは立ち入れないほどの放射能汚染はなく(ある意味、実態は今なお不明ですが)、リターンプロジェクトのメンバーと話し合いながら、今できること、今後も続けられることをチョイスしながら、全面的な活動停止は見送ることにしています。
私個人は仕事(有機農業、自然食品製造)の性質上、避難して移住先を探していますが、現在は平均して週に2日程度の割合で戸渡に来て分校の清掃などもしています。また、地区の協働作業などは、線量の低いいわきの市街地に移り住んでいる住民と結束して継続しています。
客観的に見れば、過疎化と放射能汚染の双方に苦しめられているやまのがっこう=戸渡地区ですが、私事として遠方に移住することになっても、やまのがっこうを簡単に諦めることは避け、経緯を見つめて出来る対処はしてゆきたいと思っています。
ご意見などいただけると幸いです。よろしくお願いします。